重力に従った自由落下の結果、重力場は無いのと同じといえる。これははたしてそうなのか。内井惣七の「空間の謎、時間の謎」を読んでいてバーバーの発見と書かれている次の話に素朴な疑問を持った。
以下はその引用。「関係説による古典力学の再構成で明らかになったように、宇宙全体の運動を決める法則がわかれば、距離の測定によって時間がわかる。(中略)究極の時計は宇宙全体の運動だ。(中略)宇宙の運動は、プラトニアの測地線から決まり、プラトニアには時間軸がないのだから、結局理論的な時間は消去できる。」
距離の同一性から時間の同一性が出るということがバーバーの主張のようだ。
自由落下ということがどういうことか、あらためて考える必要がある。自由落下は運動か、時間に中立か。わからない。
もっとも素朴な疑問として同じ本に書かれていること「たった400年前の関が原の合戦の写真は存在しないが、200万年前のアンドロメダの写真は存在し、リアルタイムで見ることができる。」過去は過ぎ去って存在しないということの意味を考える必要がある。
日本では柳田国男が空間を手がかりにして時間を考えようとしていた。福田アジオの意見にも耳を傾けたい。